知っているはずの場所でも、ちょっと視点を変えれば「旅」になるかもしれません。
熊本県民なら、テレビで見かけたり遊びに行ったりと昔から親しんでいる人も多い「通潤橋」。
4年ぶりの放水再開に湧く現地を訪ねてみました。
熊本地震からの復興
各地に大きな被害をもたらした熊本地震が起きたのは2016年4月のこと。
山都町にある国の重要文化財「通潤橋(つうじゅんきょう)」も、江戸時代に築かれた水路のあちこちが損傷しました。
夏の風物詩として全国からたくさんの観光客を集めた放水は行われず、ひっそりとブルーシートがかけられた姿に、心をいためた熊本県民は多かったことでしょう。
2020年春になり、4年越しの修復作業が完了しました。ゴールデンウィークにはついにお披露目かと期待されましたが、思いがけず現れたのが新型コロナウイルスの脅威でした。
連休にも盛大な記念式典や人を集めるイベントを開催することができず、モヤモヤとした空気が流れました。
ついに放水再開!
待ちに待った放水が再開されたのは、2020年の7月21日。
熊本県内を初め、九州全域を中心に通潤橋の勇姿を一目見ようと多くの人々が集まりました。
放水は1日1回、午後1時から開始。最大15分間ほどです。
全国の観光客へ向けてアピール!という訳にはなかなか行かない情勢ですが、ダイナミックな放水はやはり美しく見応え充分です。
熊本を代表する風景のひとつと言えるでしょう。
なお、放水の目的はもともと観光用という訳ではなく、124メートルもの長さがある通水管の中にたまってしまう土砂やゴミを流すことです。
また通潤橋は農業用の水路という性質上、水田で農業用水が多く必要な時期には放水は行われません。今なお現役で活躍する通潤橋は、5月の連休明けごろから梅雨時期などはフル稼働で田んぼを潤しているのです。
詳しいスケジュールは山都町が作成する放水カレンダーに掲載されていますが、2020年は11月末まで行われる予定です。お出かけの際は、前もって公式サイトなどで放水スケジュールをご確認ください。
布田保之助の偉業に思いを馳せる
通潤橋に隣接する「道の駅通潤橋」には資料館があり、橋や水路の仕組み、架橋の経緯などを映像を交えて学ぶことができます。
水が届かない台地を豊かな水田にするために前代未聞の巨大な石橋を架けようと考えたのは、地元の惣庄屋(現在でいう町長のようなもの)であった布田保之助(ふたやすのすけ)。
架橋には莫大な予算とともに、肥後の石工の力が必要でした。
現在の八代市東陽町に拠点をおいていた種山石工たちと相談し、さまざまな工夫を重ねて日本最大のアーチ橋を完成させたのは嘉永7(1854)年のことでした。
石工や大工のみならず、地元の矢部地域に住む農民たちも数多く作業に参加したと言われています。
通潤橋が完成した時、布田保之助は54才。61才まで惣庄屋をつとめた後も多くの村人にしたわれ、のちには布田神社にまつられる存在にまでなりました。
地元を豊かにしたいという情熱を持ち、R60世代になっても活躍していた布田保之助の偉業に思いを馳せつつ、展示を見学してみてくださいね。
山都町へ、小さな旅
江戸時代の土木技術の高さに目を見張り、郷土の歴史を知る。
ついに熊本地震からも復活した通潤橋の勇姿は、私達にさまざまな気づきを与えてくれます。
通潤橋の裏手には落差50メートルの「五老ヶ滝」があるほか、車で5分足らずの距離には1770(寛政4)年創業の老舗酒蔵「通潤酒造」などの立ち寄りスポットもあります。
寛政時代の蔵をリノベーションしたおしゃれなカフェや日本酒の直売コーナーなどがあり、お土産を購入することもできます。
熊本県上益城郡山都町。通潤橋を訪ねる小さな旅に、出かけてみませんか。
【通潤橋】
所在地:熊本県上益城郡 郡山都町長原ヌ222-2