【マメ知識】「九州」「火の国」の由来、知っていますか?

コラム

普段、何気なく見聞きしている「九州」という言葉。

なぜこの地が「九州」と呼ばれるようになったのか、ご存知ですか。

また「火の国 熊本」ともよく言われますね。

なぜ熊本が「火の国」なのか知っていますか?今さら聞けない由来について、調べてみました。

「九州」は何が9つ?

まずは九州という呼び名の由来から見てみましょう。現在の行政区分において、九州を構成しているのは

・福岡県
・佐賀県
・長崎県
・大分県
・熊本県
・宮崎県
・鹿児島県

の7県です。では何が9つなのかと言えば、かつての国名。

飛鳥時代から明治時代にかけて導入されていた律令制(りつりょうせい)による、令制国(りょうせいこく)で数えると9つなのです。

・筑前国(ちくぜんのくに)   福岡県の北西部
・筑後国(ちくごのくに)    福岡県の南西部
・肥前国(ひぜんのくに)    佐賀県と長崎県(壱岐・対馬は含まず)
・肥後国(ひごのくに)      熊本県
・豊前国(ぶぜんのくに)    福岡県東部と大分県北部
・豊後国(ぶんごのくに)    北部を除く大分県
・日向国(ひゅうがのくに)     宮崎県
・大隅国(おおすみのくに)   鹿児島県の大隅半島・屋久島・種子島・奄美大島
・薩摩国(さつまのくに)    鹿児島県の薩摩半島側

の9つの国がありました。

9つの国がある土地=九州と呼ばれていましたが、7つの県に変わってもそのまま九州という呼び名が残ったという訳ですね。

「火の国」の由来は諸説ある

熊本県は「火の国 熊本」などと呼ばれていますが、その由来には諸説あります。代表的なものをご紹介しましょう。

崇神天皇 由来説

「肥前風土記」の記述をもとに、第10代天皇・崇神(すじん)天皇が名付けたとする説があります。

県央エリアにはかつて「火の君」と呼ばれる豪族がいたと言われています。

火の君は、もともと天皇に背いた益城の土蜘蛛(つちくも、有力者・豪族)を討つためにやって来た健緒組(たけおぐみ)。八代郡の白髪山で夕暮れの空に火が燃え上がるのを見て天皇に報告したところ、天皇は「火の下る国であるから火の国」であるとして、健緒組に火の君の姓を賜った、とする物語です。

火の君の国=火の国という流れです。

景行天皇 由来説

「日本書紀」の記述から、第12代天皇・景行(けいこう)天皇が名付けたとする説もあります。

天皇が葦北(あしきた、今の日奈久と思われる)より八代海へ向かって船出し、日が暮れて前方が見えなくなってところ、遠方に火の光を見つけて無事に着岸できた。そこは八代県の豊村(宇城市松橋町豊福付近と言われています)であった。火の光の出どころは不明であったが、その国の名を「火の国」と名付けた。という物語です。

こちらは八代海に見られる「不知火(しらぬい)」のことを指している可能性がありますね。

また、活発な活動を続ける阿蘇山の噴火による炎から取られたとする説も一般によく知られています。

また、「火」はあくまでも当て字であり、干潟の「干」に由来があると見る向きもあります。

このように、実は謎の多い「火の国」の由来。さまざまな側面がある、豊かで複雑な熊本の風土を表しているようですね。

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